「責任」とは何でしょう?
職場において「責任」という言葉は、いろんな場面で良く用いられています。
例えば、
・管理職は一般職より責任が重い
・仕事のミスに対する責任を取る
・チームメンバーはお互いに責任を負う
など、よく耳にするフレーズですよね。
人事評価制度においては「責任感がある/ない」という評価項目があったりしますし、同一労働・同一賃金の問題においては「業務に伴う責任の程度」に差があるかどうかが焦点になったりします。
このように、責任という言葉はよく使われていますが、いざ「責任って何でしょうか?」と問われると、なんだかボヤっとしていて、うまく説明ができないような気がします。
平たく言いますと、「責任とは約束を守ること」と説明できそうですが、では一般職は管理職ほど約束を守らなくてもいいのでしょうか。取り返しの付かないミスをしてしまうと、約束を守ることができませんが、もう責任は取れないということになるのでしょうか。
このように考えていくと、責任にはもう少し深い意味があるように思えて、やはり簡単には説明ができません。おそらく責任という言葉は人や場所、時や場面に応じて色々な解釈ができるからではないかと思います。一言では説明ができないような、色々な意味やニュアンスを含んでいるからこそ、「責任」という言葉が使いやすく、良く使われるのかも知れません。
とはいえ、仕事の現場においては言葉の意味を曖昧にしておけない状況もあると思います。曖昧が故に責任の取り方を間違えたり、意味をはき違えたりすることがあるわけです。
そこで今回は、この「責任」の正体について考えてみたいと思います。個人的な考察になってしまうかもしれませんがご容赦ください。
なお、責任は人間関係のあらゆるところで発生しますが、今回は主に職場における場面にフォーカスして考えてみます。
辞書を引いてみました
まずは辞書で言葉の意味を調べてみました。
①立場上当然負わなければならない任務や義務。
②自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。
③法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。
このように書かれていましたので、それぞれ考えていきたいと思います。
①立場上当然負わなければならない任務や義務。
職場において与えられた役割(つまり業務)を遂行する義務を負うことです。これにより給与を得るわけですから、誰しもが自分の業務をすることに疑問はないと思います。
少し気になるのは、ここで「成果」は求められるのでしょうか。真面目に仕事に取り組んでさえいれば、例え成果が得られなかったとしても、責任を果たしたと言えるのでしょうか。例えば、営業職の人は売上を上げることを期待されている業務です。一生懸命に仕事はしていたものの、売上が目標に到達しなかった場合、この人は責任を果たしたと言えるのでしょうか?逆に、遅刻も欠勤も多かったが、売上が目標に到達した人はどうでしょうか?前者と後者のどちらがより良いと評価するのかは、意見が分かれるところではないでしょうか。
ここでひとつ気がつきました。それは「相手の期待に対して評価を得られたか?」ということです。相手の期待が「真面目に働いてほしい」ですと、前者が評価されますし、「目標を達成してほしい」なら後者が評価されると思います。もちろん両方を期待することも多いと思うのですが、結局は「相手がどちらに評価の重きを置いているのか」によって、評価が左右されるのではないかと思います。そして相手の評価が得られれば、責任を果たしていると言えるのではないでしょうか。相手の期待によって責任の形が違ってきて、また期待は常に同じではなく流動的なところもありますので、責任を果たすには相手の期待を読み取る能力も必要になりそうです。
②自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。
これがいわゆる“責任を取る”という事でしょうか。
問題は、責任を取るとは具体的にどういうことなのかです。よく「責任を取って仕事を辞めます」というようなことがありますが、本当に責任を取っていることになるのでしょうか。
何らかの失敗(損失)が発生しているわけですので、前述したように責任とは相手の期待に応えることだと捉えるならば、その損失を取り戻す努力をすることが“責任を取る”ということのように思います。あえて「努力する」と表現したのは、どうしたって取り戻せない損失もあるからです。
では取り戻せない部分はどうするのかというと、それはもう相手からの制裁を引き受けるしかないのかなと思います。もちろん損失と制裁の程度のバランスが取れている必要はあると思いますが、制裁を受けることで相手に納得してもらうということなのかなと思います。
③法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。
これまでのように考えますと、③は悪者を法的に罰することで社会に納得してもらうという意味もあるように思います。
当然のことながら、法律上の制裁は「違法行為を行ったら罰します」という、犯罪に対する抑止力として設けられているわけですが、それはつまり「社会秩序を乱さないように」という社会からの期待の表れで、その期待を裏切った者には制裁を与えることで社会に納得してもらうようにしているのだと思います。
フルタイムパートという働き方
フルタイムパートという言葉をご存じでしょうか。パートタイマーですが、正社員と同じようにフルタイムで働いている人のことです。仕事内容は正社員と大きく変わりません。ただ、パートタイマーですので、時給制でボーナスは無く(あっても少額)、正社員と比べて給与が低い傾向にあります。
最近は少し減ってきているように感じますが、比較的小規模な企業ではフルタイムパートの方は一定数います。仕事内容は正社員とほぼ同じなのに給与は低いことが多いフルタイムパートという働き方がなぜ選ばれるのでしょうか。もちろん正社員になりたくてもなれない事情もあるのでしょうが、パートタイマーであることのメリットは何でしょうか。
なんとなくですが「パートだから、そんなに責任は負えませんよ」という雰囲気があるように思います。例えば個人的な理由で突然休むことが多かったり、残業に応じられないような事情がある場合、パートならそれが許されるような気がします。また雇い入れる会社側としても、そこまで責任を求めない代わりに給与額を抑えられるというメリットがあります。
つまり労使間でお互いに、給与額で責任度合いのバランスを取っている姿なのだと思います。
まとめ
労働者は会社と雇用契約を結び、給与を得る権利を得る一方で、労働する義務を負います。この義務自体が責任なのですが、会社からの期待によって責任の形は違ってくるということでした。
一般的に、給与が高い=求められる期待が大きいと考えられるので、その分責任も大きくなります。責任が大きくなるということはミスをしたときに引き受ける制裁も大きくなる。これが「管理職は一般職より責任が重い」と言える理由だと考えます。また、この理論では責任を小さくするには給与も少なくなければなりません。フルタイムパートという働き方は、まさにこの理論に適っています。
「給与=責任」と考えるのは単純すぎるかもしれませんが、この記事では、
・責任とは相手の期待に応えること
・責任の大きさは給与額(期待)に比例する
と、まとめます。なるべくシンプルな答えになるように努めましたが、皆さんも「責任とは何なのか」を考えてみてはいかがでしょうか。