2023年4月より、労働基準法施行規則の改正により、従来の「銀行振込」や「現金払い」に加え、賃金のデジタル払い(資金移動業者の口座への振込)が制度として正式に認められました。これにより、企業は一定の条件を満たせば、スマホアプリなどを通じて賃金を支払うことが可能となり、労働者にとっては賃金受け取りの選択肢が広がることとなりました。
しかし、制度が新しいだけに、導入には慎重な検討と準備が必要です。制度の概要や導入時の注意点、労務管理上のポイントについて解説いたします。
1. デジタル払いとは何か 法的な位置づけ
これまで、賃金の支払い方法として認められていたのは、主に以下の3つです。
- 現金手渡し(原則)
- 労働者の同意を得た銀行口座への振込
- 労働者の同意を得た証券総合口座等への振込
労働基準法第24条では賃金は通貨で直接労働者に支払う必要があると定められているため、上記の現金手渡しが法律上の原則となっています。意外に思われるかもしれませんが、銀行口座に振り込むことにより賃金を支払う方法は例外なのです。
そこに新たに追加されたのが、「資金移動業者が管理する口座への賃金振込」です。いわゆる「○○Pay」といったスマホ決済アプリやウォレット口座などが該当します。
この改正により、労働者の同意を得た上で、一定の条件を満たす資金移動業者の口座へ賃金を振り込むことが可能になりました。つまり、例外が1つ増えた格好です。
2. 制度の主な要件
デジタル払いの導入には、以下のようなルールがあります。
(1)厚生労働大臣が指定した資金移動業者に限る
振込先として認められるのは、「厚生労働大臣が指定した業者」の口座のみです。これは、利用者の資産保護を図るためであり、破綻リスクへの対策や返金体制などの一定の要件を満たした業者に限られます。
2025年4月4日現在、指定業者は4事業者に限られており、これ以外に資金移動業者として申請があった事業者はないため、選択肢が多いとは言い辛い状況ですが今後増える可能性はあります。
(2)労働者本人の同意が必要
デジタル払いはあくまで選択制です。会社が一方的に指定して労働者全員に適用することはできません。労働者の自由意思による選択が大前提であり、書面や電磁的方法による同意取得が必要です。
(3)即時引き出しが可能であること
デジタル口座からの現金引き出しが容易である必要があります。たとえば、ATMや提携先を通じて即時に現金化できる仕組みが求められています。
(4)1口座あたりの残高上限は実質30万円
労働者の保護のため、賃金を受け取ることとなる資金移動業者の口座残高は100万円を超えてはらないことが法的に定められていますが、現在指定されている業者のうち労働者指定口座の受入上限額は10万円から最大でも30万円となっています。これを超える金額となる場合は超える額が他の労働者指定銀行口座へ送金される、資金移動業者の口座への振込ができず、全額本人名義の銀行口座に振り込まれる、など各資金移動業者により上限額以下に抑える対応が取られます。
3. デジタル払い導入のメリットと課題
企業側のメリット
- 振込手数料の削減(銀行振込よりもコストが低い場合あり)
- 給与支払い業務の効率化
- 給与支払い手段の多様化による従業員満足度の向上
- 外国人労働者・アルバイト等、銀行口座を持たない労働者への対応がしやすくなる
企業側の課題
- 労務管理上の整備(就業規則の変更、同意取得手続きの構築)
- 情報セキュリティ・個人情報保護への配慮
- 未払いリスク・資金移動業者の倒産リスクへの備え
また、「資金移動業者が破綻した場合、賃金が引き出せないのでは?」という不安もあり、企業側はこの点をきちんと説明し、従業員の理解と納得を得る必要があります。
4. 就業規則と労使協定の整備
デジタル払いを導入する場合には、就業規則の賃金支払に関する記載内容を見直す必要があります。従来の「銀行口座への振込」のみが記載されている場合は、「労働者の同意を得た資金移動業者の口座への支払いを行うことがある」旨の追記が必要です。
また、労働者代表との労使協定を結ぶことも推奨されます。支払方法の変更は労働条件に関わる事項であるため、できる限り透明性を持って運用することがトラブル防止に繋がります。
5. 実務上の導入フロー
実際にデジタル払いを導入する場合、以下のようなステップで進めるとスムーズです。
- 制度の理解と導入目的の整理
- 利用予定の資金移動業者が厚労大臣の指定を受けているか確認
- 就業規則の見直し、労使協議の実施
- 対象労働者の同意取得(書面または電子)
- システムや給与計算処理の整備
- 運用開始後のフォローと苦情対応体制の整備
また、すべての従業員に一斉導入するのではなく、希望者のみに限定して導入を試験的に行うのも現実的なアプローチといえるでしょう。
6. 社労士の立場からのアドバイス
制度はあくまで「新たな選択肢」であり、すべての企業・すべての従業員にとって最適とは限りません。とくに、トラブルを避けるためには、
- 従業員への丁寧な説明
- 明確な社内ルールの整備
- 万が一のリスク対応の備え
が不可欠です。
社会保険労務士としては、就業規則や賃金規程の整備、労使協議の支援、同意取得の実務フローの設計など、制度導入の初期段階から運用後のフォローまで幅広くサポートが可能です。
まとめ
賃金のデジタル払いは、今後さらに普及が進む可能性のある制度です。特に若年層や外国人労働者、日払い・週払いを希望する労働者との相性が良く、企業にとっても選択肢のひとつとして検討する価値があります。 ただし、新しい制度であるがゆえに、労使間の誤解や実務上の混乱を防ぐためにも、事前の準備と丁寧な運用が求められます。制度を正しく理解し、企業・従業員双方にとってメリットのある形で活用していきましょう。